shigemmy’s note

絵を描く者のおぼえがき

ジョルジョ・モランディー終わりなき変奏

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世界中に熱狂的なファンを持つと言われている20世紀(1890~1964)のイタリアの画家モランディ。その回顧展が17年振りに東京ステーションギャラリーで行われている。(日本では3度目)モランディは生まれ故郷のボローニャから一歩も出ず、生涯独身のまま自宅アトリエで静物画ばかりを描いて、しかも同一の壷、瓶、箱、水差しなどを並び替え、置き場所を変えて、手法を変えて、変奏〜バリエーション〜の中に、無限大の完成系を追求していた・・・と、かなり偏屈で、ストイックでオタクな画家だ。

けれど、そのストイックさはどこかクールだ。私の周りでも、モランディファンは自分のセンスを大切にしている人が多い様に思う。何がそんなにみんなを魅了するのか?50数点あまりを一堂に観たら、それは感覚的に伝わってきた。カッコいいのだ!クールなのだ!

 

今回の展示では普通に一点づつ何のセンスもなく掛けれているけれど、ボローニャのモランディ美術館では下↓の様な展示がされているらしく、これはもう、かっこ良すぎ!!あ〜こんな家に住んでみたい。

 

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だが、彼は本当に偏屈だったようで、展示会の中でもそれを垣間みるエピソードを所々で目にした。でも、彼が表舞台では無く独りの世界の中にいたいと思う気持ちを私なりに勝手に想像すると、それは分からなくもない。キュビズムだのフォービズム、ダダイズムだの、なんだかんだと新しい概念が派手に美術の歴史を騒がして、イタリアの美術界もご多分に漏れず、新しい派手な動きがあり、また、戦争という心乱される時代背景の中にいて、『俺は、何者にも乱されず独りの世界にいたんだよ』という気持ちだったのではなかろうか? 

その解釈が正しければ、なぜこうも多くの人々が好きになるのかも納得がいく。

西欧、特にアメリカ文化をメジャーとし、日本独自の文化をマイナー扱いする今の日本にちょっと斜めから見たくなる偏屈や、日々どんどんデジタル技術が進化していく今の時代に、時軸を変えて、自由な時空にいたいと思う気持ちからも、同じ波長を感じるのかもしれない。それも沢山の人が・・・・。

 

『静物しか描かない訳じゃなく、俺は人物だって風景だって描くんだよ・・・』

と言っていたらしいが、真っ当から美女や裸体を描いたのかは分からない。

これだって↓後ろ姿だし(笑)

 

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その偏屈な画家はこんな方

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