shigemmy’s note

絵を描く者のおぼえがき

松方コレクション

国立西洋美術館にて行われている松方コレクション展。

artexhibition.jp

某銀行顧客貸切デーに友人が誘ってくれて、とてもストレス無くゆっくりと

鑑賞する事が出来た。

 

実はル・コルビジェ建築でもあり、ロダンの考える人もお座りになっている

と言う、ここ国立西洋美術館の中に入るのは初めてであり、

さらには日本の西洋美術史にとって最も偉大なる人物であろう松方幸次郎について

何も知らずに50数年間を生きてきた事に対して、非常に恥ずかしく思った。

 

松方幸次郎がいなかったら、私も美大で油絵を描く事もなかったかもしれない・・

 

さて、なんと言っても今回のコレクションの一番の目玉は、松方がモネから直接

購入した『睡蓮・柳の反映』。戦時をまたいで日本に運ぶことが出来ず、

フランスで行方不明になっていたモネの遺作がつい3年前の2016年にルーブル

保管されていた事が分かり、ついに日本にやってきた。

それも、上半分が失われボロボロの状態で。

 

残されたモノクロの写真とAIとプロの技術によって再現されたボロボロの絵は

『モネ・睡蓮』とタイトルがなかったら、恐らく普通の人には分からなかったで

あろう。しかし、そのカンバスの端っこに塗られた絵の具の筆のかすれ具合や、

カンバスを貼った釘の跡、失われた上半分の薄茶色の濁りなどを見ていると、

完成されたモネの絵画よりも、なぜか生生しく感じられ、心にズドンと入ってきた。

 

私が今まで国内外で見た印象派の絵画の中で、最も印象的な一枚になった。

 

それにしても、松方というお方は本当にすごい人だ。

10年間の間に1万展の絵画(浮世絵も含む)を購入するなんて、

現代の美術スーパーコレクターのフランソワ・ピノーも

ルイ・ヴィトン財団の理事長、ベルナール・アルノーも及ばない

世界的な美術コレクターだったのではなかろうか?

 

かつての日本人にそれだけの財力を持ち、芸術のために命を注いだ人が

いた事を改めてリスペクトしたい。

 

 

 

 

 

 

ゴッホ展〜巡りゆく日本の夢〜

あのゴッホが、ジャポネスクに憧れ、浮世絵に影響を受けていたなんて、

あの筆のタッチから想像がつくだろうか? 実際に、浮世絵を真似て描いた

美人画↓を見てもゴッホゴッホだった。

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 そんなゴッホに憧れた日本人の画家や知識人の多くが、ゴッホの没後、

弟テオと共に眠る墓のあるオーヴェールを尋ねる巡礼が行われたという。

訪れた事のない日本に憧れたゴッホ。そのゴッホに憧れた日本の画家達が

ゴッホの墓を訪れた旅の記録を同時に展示する、とてもロマンティックな

展示が東京都美術館で行われていた。(1月8日で東京は終了し、20日からは

京都になる模様)

gogh-japan.jp

 

実を言うと、かく言う私も巡礼者の一人だ。

24年前初めてパリ旅行に行った際に、フランス語もわからず、googleもなく、

半べそかきながら友人と二人、半日かけてようやくパリ中央駅からオーヴェール

行きの列車に乗り2時間。やっと到着したオーヴェールは、無人駅だった様な気がするけど、降りたのは、私と友人と、そしてパリに留学中だと言う台湾人の女の子の3人だけだった。真冬だったので旅行客も無く、小さな町を歩いているのは私達3人だけ。

どこに行ってもその女の子と会ってしまうので、いつの間にか3人一緒に歩く様になり、オーヴェールの教会に向かった。

 

オーヴェールの教会は、あの絵の通りだった。

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(ネットで拾った画像で2006年頃の写真で当時の物ではありません)

私は念願の場所で、念願の教会をスケッチをした。(あの時のスケッチブックは何処ぞに行ってしまったのか?)今回の展示で佐伯祐三が描いた教会のスケッチがあったのだが、日付を見たら私が同じ場所で描いた時とちょうど同じ、1月の中旬だった。

その30年後に自分も同じ場所に立ち、同じ構図で描いていたと思うと、ちょっと嬉しかった。

 私がスケッチをしている間に、台湾人の子が馬に乗った素敵な男性に話しかけていた。その男性は、教会の守り番をしていて教会のすぐ裏の古い家に住んでいた。

彼女がフランス語が話せるおかげで、その男性と仲良くなり、3人のアジアっ娘を家に招いてもらってお茶をご馳走になったり、買い出しに行く車に便乗させてもらって(トラックの様な作業車だった気がする)街を案内してもらったり、おじさんが自分で建てている小屋を案内してくれたり、なかなか重厚な旅の時間を過ごした。

 

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その時の写真は、これしか残っていないのだが、長い髪を後ろに束ねて、真っ白い馬を連れたダンディな男性が土手から降りてきた時の事、男性の家と教会の間には、アヒルが数匹いた事、ゴッホが描いた教会も麦畑も、絵のまんまであった事、

誰もいないゴッホとテオのお墓を見た時に『こんな地味なの?』っと友人が呟いた事、誰もいない街の石畳に夕日が落ちていった事など、佐伯祐三や、森鴎外岸田劉生らの巡礼の旅の記録を見ながら思い出した。

 

ゴッホは天才ではないと言うけれど、ゴッホを巡って、こんなエピソードが生まれる事に、今改めてゴッホの魂のオーラを感じずにはいられない。

 

またオーヴェールに行ってみたいな。あの場所は今も変わらない風景であって欲しい。

そして、あの男性はまだあそこに住んでいるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クートラスの思い出

2017年になって、ずっと休んでいたこのブログ。

今年中に書いておきたかったアート展『クートラス』について、

今年もあと3日となった今日、慌てて書き出すことにした。

 

Robert Coutelas

1930年パリ生まれ、10代から工場に勤め、その後、石工となる。

ちょっと複雑な関係の両親の反対にあいながら仕事の傍ら作品作りと続けた結果、

なんとか作品が認められ、リヨンの美術学校に無事に入り、28歳の時に

パリデビュー!しかし、画廊とことごとく気が合わず、貧乏生活になり

画材が買えなかった時に、落ちてたカルト(carte)タロットカードや

トランプみたいな紙を剥がしてその台紙に絵を描き始めたる。

その後も次々とカルト絵を描いていき、カルトの画家として知る人ぞ知る

アーティストとなった。

 

このクートラス展を見たのは、京都の大山崎山荘美術館アサヒビール所蔵)

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/31888/

 

その当時の京都は2月の節分祭で賑やかだったけど、京都からローカル電車に乗り継いでわざわざ人里の美術館まで足を運んだのは、クートラスが見たかったわけでなくて

(ごめんなさいクートラス)このロッジのような山荘後の美術館に行きたかっただけだったのだ。

 公共ではない、私有の小さな美術館巡りは完全に私の趣味だ。

特に古い建物の所がお気にいりで、展示から溢れて見える古い納戸の扉だの

何年も置かれた状態の床の絨毯だのを見ていると、かつてここで生活していた

人の贅沢な暮らしをイメージしては、毎回うっとりとした気持ちになる。

今回は豪華絢爛な京都の外れの物静かな場所に、お気にいりのこの美術館を見つけた事が何よりも嬉しい。

 

で、クートラスですが(やっと)彼が最後に付き合っていた恋人が書いた

『クートラスの思い出』という伝記を、この美術館で手に入れた。

著者であり恋人だった岸真理子・モリアさんは日本人。(現在パリ在住)

岸さんが最後に彼から莫大な遺作(ほとんどがカルト)を受け継ぐ事になり、

作品を管理している。

最後の恋人が岸さんで無かったら、おそらく日本で見れなかったのではないか。

そう思いながら、時々、本を開いては、ゆっくりと話しを追いかけながら

とある変わったアーティストの人生と、不思議なカップルの思い出話しに出会った、

京都での奇妙なご縁を感じながら、旧き良きパリと、旧き良き京都の洋館の

シンクロする空気を楽しんでいる。

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ピエール・アレシンスキー展

bunkamuraザ・ミュージアムで開催中のベルギー出身の現代アーティスト、ピエール・アレシンスキー展に一歩足を入れた途端、小躍りするぐらい胸が高鳴った。

コピーちっくに言えば『初めて会った瞬間、恋に落ちた』という感じ?正確には、恋に落ちる時に感じる、この人と私はどこか似ているかも?とか、ずっと前から知っていたような?とか、勝手に赤い糸がつながっている様な錯覚を覚えてしまったのだ。

 

1927年ベルギーで生まれたアレンスキーは90歳近い今でも現役で新作を描いているスーパーアーティスト。なのに彼の絵を見たのは今回が初めてだ。おそらく日本ではあまり知られていないアーティストだろう。だけど、彼の方は随分と日本のことに興味を持ち影響を受けている。

 

当時、ダダだのシュールレアリズムだのが流行中だったヨーロッパでアレシンスキーは一人の書道家に出会った。その森田子龍が書を書く姿に衝撃を受けたアレシンスキーは日本を訪れ、前衛書道家たちの影響をさらに受ける。彼が見た書道は『書く』ではなく『描く』だったと上映中のビデオが語っているのを聞いて、自分がもし日本語を知らなかったら、その感覚はなんとなく分かる気がした。

その書道の『描く』という感覚によって彼のスタイルが変わった。

キャンバスではなく紙に。立てかけるのではなく床に置く。絵の具ではなくインク(墨汁の変わり)そのスタイルが彼の作品のキャラクターそのものを生み出した。

そして、恋に落ちた錯覚を起こさせた要因は、そんな彼の日本びいきな一面にあったのだと思う。

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ちなみに、今は腰に堪えるので床置きでななく壁に立てかけて描いているそうだ。

 

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なんとなく書に見える。一つの作品。

 

それにしても上映中のビデオに登場する前衛の書道家たちのカッコイイこと!

タバコをくわえたまま、何本も束ねた筆に墨汁を吸わせて、紙にグリグリと墨敵を乗せていく森田子龍、柳のような細くて長い筆でしなりしなりと細い線を描く篠田桃紅。

この展示は海外でなぜ書道が好まれるのかが良く分かる展示でもある。

 

f:id:shigemmy:20161105011415p:plain 写真:篠田桃紅

f:id:shigemmy:20161105011554p:plain 写真:森田子龍

 

 

 

 

 

 

 

 

奥村土牛 〜画業ひとすじ100年のあゆみ〜

奥村土牛は明治に生まれ平成2年に101歳で亡くなるまで、現役で活躍された日本画家だ。私にとってちょっと特別なエピソードのある人物である。

 

実は若かりし頃に、奥村土牛の息子さんでフォトジャーナリストの奥村勝之氏に写真を習っていた。世田谷の奥村さんの自宅スタジオに通っていたある日、土牛の遺品ガレージセールが行われた。亡くなって間もない時期だったので、物置を整理中とかで、見るからにガラクタや、なんとなくお値打ち品かもと疑わしい壺や茶碗、初版本の画集や、オリジナルかプリントか分からない絵もあったり、色んなものが蚤の市のように雑然と並んでいた。

 

当時20歳そこそこの私には、物の価値も分からなければ、ぶっちゃけ土牛(日本画)にも興味jはなかった。けれど、これも何かの記念と思い蜜柑が描かれた扇子をいただくことにした。土牛のサインは有るものの、それが本物か印刷かは奥村さんも分からないけれど扇子としてみれば、それなりのお値段はしそうってことで1万円の値札が付いていた。20歳の自分にとっては、ちょっとした買い物の額だった。けれど、宝くじを買った気分でワクワクした。本物だったら嬉しいな♪っと。

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そんな縁もあったのに、実はちゃんと展示を見たのは今回が初めてで、しかも中年から老年の一番脂の乗った良い時代の作品が一同に見れて、土牛の世界を知り堪能することができた。ズラッと並んだ作品の中で、私が一番すごい!と思ったのはこの『雨趣』。東京生まれで東京育ちの土牛は世田谷だの麻布だの赤坂だの描いた作品も多く、これも東京のどこかからの風景。雨煙で霞んで見える景色と手前の木々のはっきりした緑の対比が実に素晴らしくて何度もこの絵に戻って見てしまった。霞んでいる部分はよく見ると、細くて白い線で描かれた雨が無数に描かれている。梅雨どきの東京の匂いとか肌寒さとか、そういうのが伝わってきた。

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この鳴門の渦潮も実に印象深く、船酔いしながら奥さんに支えてもらいながらスケッチしたエピソードもまた印象に残った。。。。。

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写真:98歳頃の土牛

 

さてさて、このブログを書くにあたって奥村勝之さんを検索したら『相続税が払えない。父、奥村土牛の素描を燃やしたわけ』という本が出てきた!!そういえば、あのガレージセールの時に相続税が高くて大変だという話しをしてたのを思い出した・・・・そうか素描一枚を相続するのに税金がかかるのか・・・その点、アメリカは逆でアートを買うと税金が優遇され税金対策になっている。そういうところが日本ではアートがビジネスとして育たないのだと村上隆先生も言ってた。まあ、そんなわけで私が払った扇子代も少しは税金の足しになったのだろうか?実は、あの後すぐに鑑定してもらったら印刷された大量生産物で値段をつけるなら2千円!(涙)と言われてがっかりだったけれど、今日その気持ちが晴れた。絵が素晴らしかったから・・・扇子大事にしたいと思う。

 

山種美術館

3月19日から5月22日まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョルジョ・モランディー終わりなき変奏

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世界中に熱狂的なファンを持つと言われている20世紀(1890~1964)のイタリアの画家モランディ。その回顧展が17年振りに東京ステーションギャラリーで行われている。(日本では3度目)モランディは生まれ故郷のボローニャから一歩も出ず、生涯独身のまま自宅アトリエで静物画ばかりを描いて、しかも同一の壷、瓶、箱、水差しなどを並び替え、置き場所を変えて、手法を変えて、変奏〜バリエーション〜の中に、無限大の完成系を追求していた・・・と、かなり偏屈で、ストイックでオタクな画家だ。

けれど、そのストイックさはどこかクールだ。私の周りでも、モランディファンは自分のセンスを大切にしている人が多い様に思う。何がそんなにみんなを魅了するのか?50数点あまりを一堂に観たら、それは感覚的に伝わってきた。カッコいいのだ!クールなのだ!

 

今回の展示では普通に一点づつ何のセンスもなく掛けれているけれど、ボローニャのモランディ美術館では下↓の様な展示がされているらしく、これはもう、かっこ良すぎ!!あ〜こんな家に住んでみたい。

 

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だが、彼は本当に偏屈だったようで、展示会の中でもそれを垣間みるエピソードを所々で目にした。でも、彼が表舞台では無く独りの世界の中にいたいと思う気持ちを私なりに勝手に想像すると、それは分からなくもない。キュビズムだのフォービズム、ダダイズムだの、なんだかんだと新しい概念が派手に美術の歴史を騒がして、イタリアの美術界もご多分に漏れず、新しい派手な動きがあり、また、戦争という心乱される時代背景の中にいて、『俺は、何者にも乱されず独りの世界にいたんだよ』という気持ちだったのではなかろうか? 

その解釈が正しければ、なぜこうも多くの人々が好きになるのかも納得がいく。

西欧、特にアメリカ文化をメジャーとし、日本独自の文化をマイナー扱いする今の日本にちょっと斜めから見たくなる偏屈や、日々どんどんデジタル技術が進化していく今の時代に、時軸を変えて、自由な時空にいたいと思う気持ちからも、同じ波長を感じるのかもしれない。それも沢山の人が・・・・。

 

『静物しか描かない訳じゃなく、俺は人物だって風景だって描くんだよ・・・』

と言っていたらしいが、真っ当から美女や裸体を描いたのかは分からない。

これだって↓後ろ姿だし(笑)

 

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その偏屈な画家はこんな方

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ヘレン・シャルフベック 〜魂のまなざし

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フィンランドにヘレン・シャルフベックという女流画家がいたのを知っているだろうか?日本ではあまり紹介されて来なかったが、2012年に生誕150周年を記念する回顧展が開催され、今 世界的に注目されている画家だと言う。そのヘレンの初期から晩年にかけての代表作が一堂に観れる展示が葉山で行われている。
 
フィンランドの画家と聞いて、ちょっとファンタジックな絵を想像し(一緒に連れて来られたツレはムーミンの絵も見れるの?と聞いて来たw)何の知識も得ずに訪れたが、100点あまりの作品を1枚1枚丁寧に見て行くうちに心が痛くなり泣けて来た。そして最後の1枚にたどり着く頃には号泣のあまり直視出来なかった。
 
3歳の時に腰を傷め障害者であったヘレンだけど、最初の絵は光に満ちあふれていてとてもまぶしかった。やがて19世紀から20世紀にかけての多くの画家がParisを目指した様に、彼女もParisに向かい、そしてセザンヌピカソなどからの前衛アートの影響や婚約者からの突然の婚約解消が彼女の作風を一変させる。戦争というきな臭い世相もあったのだと思う。
それがどれだけ変わったかと言うと、、、この代表作の一つである自画像が、、、、
 
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30年後にはこんなに(下)なってしまうのだ・・・・
 

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この展覧会は画家の奇跡ではなく、一人の女性の心の内面を綴った奇跡だった。生まれて初めて絵を見て共感という感情を持った。それも100歳以上も年上のフィンランドの女性の絵に。だから展覧会を見て号泣してしまったのだ。
 
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このチャーミングな子供の絵も素敵だったけれど、前期の彼女は小さな子供を沢山描いており、それはなんとなく北欧のロートレックと言っていいような優しくて柔らかな作品だった。
 
まだ日本ではあまり知られていないけれど、フェルメールの様に近いうちにきっと人気になりそうなヘレン。ミステリアスなフェルメールが隠れ男性ファンを持つことに対して、ヘレンは密かに女性の共感をさそう画家になりそうだ。
 
2016年1月10日から3月27日まで